2006年12月09日

正直のプロフィール

 奥山 正直 プロフィール

 昭和10年、山形県尾花沢市生まれ。
 
 26年 富山県の伯父の所に就職。

 28年 上京する。カメラ・顕微鏡の金属塗装、(キャノン・コニカ・フジカ)。

 37年 展示会の企画・ディレクター。

 48年 義兄の経営する工務店にて事務を勤める。

 53年から勤務のかたわら駒作り、56年から駒箱づくりに転向する。

 平成12年12月 工務店を定年退職。

 2年間バイトし、15年から工房を開設、将棋棋具の製作に専念し現在に至る。


  ここに至った経緯について、以前「週刊将棋」に掲載されたので、湯川博士さんの了解を得て、抜粋になりますが紹介致します。

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 江東区深川は、木場の町、職人の町だ。

 江戸時代には縦横に運河が走り、物資運搬の船が行き交い、よく働きよく遊ぶ、活気の町だった。

 深川不動尊の裏手で、一人駒箱作りに励んでいる奥山さんをのぞいてみた。

 狭い居間の壁には、仏壇とテレビと本がびっしりはめこまれているが、それを押し退けるような、いちばんいい場所にガラスケースが見える。

 中には高級な駒箱がぎっしりと詰まっている。

 その数30〜40個。

 いずれも見る者をひきつけてやまない、美しい木目模様が輝いている。

 手に取って見せてもらうと、島桑の根杢模様が妖しくこちらを誘惑する。

 欅の赤身杢、繊細な輝きが、漆の赤膜から浮き上がって、まるで抽象画のような刺激を与えてくれる。

 これら魅惑的な木目模様は駒箱の作者が、外からは見えにくい木の内面から探り当てたものである。

 奥山さんは20年前、駒作りの会に入り、将棋駒を作り始めた。

 彫り駒を何組か作ったが、思うような作品がなかなか出来ない。

 そういう時期に、駒作りの会で駒箱に出会った。

 見たとたんに、「これなら私にも出来る・・・」と思った。

 そのころの奥山さんは、東京・晴海の見本市会場などの展示ディレクターをしていた。

 大工・塗装などの職人を扱いながら自ら床張りや大工の手伝いもした。

 元来手先の器用なため職人たちの技法を体得した。

 そういう下地があったので、駒箱なら作れそうだと予感を得たのだ。

 「最初に作ったはひどい、が、はまらないんだから。

   今でも、はまらない物が出来るけど、少し削れば入る。

   そのときは見た目の記憶で作ったので、めちゃめちゃだった。

   板の厚さを同じに仕上げることが、作りの基本です。

   内箱と外箱の隙間はハガキ1枚ぐらいでないと、フワッと入らない。

   この寸法の按配が苦労するところ。

   そのあと漆を塗って乾燥させると、また入らなかったり・・・。

   雨の日と晴れの日でも違う。

   いろいろな職人の所に行っては、ずいぶん教えてもらいました。
 
   幸い深川は木場の町なんで、の材料を扱う銘木屋さん、工具屋さん、刃物屋さんもあるし、それに皆さん親切に教えて下さるし、いい町です。」

湯川氏 「の材料を吟味するのが、大切な工程なんでしょうね。」

 「やはり材料がいちばんですね。

   島桑、黒柿、欅、タモ・・・根っこの部分が綺麗な杢が出やすいんですが、ノコを入れる角度が命。

   原木を眺めて、考えちゃう。

   でも銘木屋さんは、さすがにプロですね。

   奥山君、一刀目は、ここだよと言うので、そこにノコを入れたらドンピシャリ、すごい杢目が出まして、うれしかったですよ。

   材料は、あまり堅木でも、盤に置いたとき傷つける。

   原木を板にしてから乾燥に時間がかかるんです。

   黒柿なんか2寸板にしてから、菰に包んで軒下に3年ほうっておくんです。

   そうすると、蒸れて木の狂いが取れてよくなる。」

湯川氏 「木目の模様は木のものだけど、それを引き出すのは人間の技ですね。欅の赤身杢なんか抽象画みたいですね。」

 「あの欅は、拭き漆を塗ってから6年たって、ああいうふうに模様がハッキリ出てきたんですよ。

   初めは、ぼんやりしていて、年月が経てば、だんだんよくなる。

   一度、静岡の方が楠の葡萄杢の衝立を壊して送ってきた。これは絶品でした。

   いい材料があれば、もっともっと作りたいです。」

湯川氏 「注文は、どういうルートから来るのですか。」

 「初めは、宮松美水さん(影水夫人)のところへ出入りしているうちに、ここへを置いていきなさいよと、おっしゃってくれて。

   そしたら名古屋の板谷進9段が上京する度に3、4個買っていって下さる。

   これは励みになりましたね。

   やはり自分の作品が認められると、うれしいですから。」

 話のあとで仕事場へ案内された。

 一坪の仕事場には、苦心の末に編み出した数々の治具や工具があり、それをひとつずつ説明してくれる。

 「最近やっと作りが分かってきたところです。

   には10枚の板が必要なんですが、杢がある為、逆目が起きやすく、この板の厚さを一定にするのが大変だった。

   1枚ずつ手加減で削っていたのを、今は治具を使い機械で均一に出来るようにしたのです。

   以前より正確な板厚が出来るので、その方面に神経を使わずロスがすくない。

   数100個作りましたが、今がいちばん充実を感じます。」

 数100個作って充実ですか。

 私の先輩に原稿5000枚書けば形が出来ると言われたが、ある程度、数をこなさないと分からないんですね。

 ところで、高級駒箱という分野は、あまり知られていない。

 たとえば、タイトル戦で、駒は100万円もするのに、は単なる桐箱の場合が多い。

 「私のは数回、羽生・森下の名人戦や、羽生・佐藤の竜王戦で使われました。

   注文は愛好家か収集家ですね。

   売れるかどうかは別にして、元気なうちに、もっともっといい仕事をしておきたいんです。」

 を作って17年目、いい材料に巡り合い、素晴らしいが、あと何個出来るのか・・・60歳を越えて何かをつかんだ奥山さん、青年のように瞳が輝いていた。

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 以上が「週刊将棋」1998年2月18日号に掲載されたものです。
posted by 正直と息子オックン at 16:48| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 直通信(父・奥山正直 の 将棋 駒箱 製作記) | 更新情報をチェックする